沖縄オタク生活 Ver.ふらびゅう沖縄 第5回


【健兄視点】沖縄のオタク系イベントの歴史(完結編)


こんにちわ!SOUNDSGOODの健兄です。
今日は4月から続いてる私視点での沖縄オタクカルチャー振り返り完結編です。流石に今回で終わります。
オタクカルチャー振り返りなんて言いながら、今回は特に私個人の記録みたいなお話になっており、かなり長文になってますがお許しください!

2015年8月から私は浦添のMOONCHILDというLive Barで店長をしていた。そしてそのお店は浦添の隠れ家的な場所で、知ってる人しか来ないと言っても過言じゃないくらい穴場的な場所だった。

そういうお店で、私が当時マネージャーしていたアニソンユニットのライブやメンバーの出勤、アニソンバンドのライブなどオタク系イベントを開催していたので、オタクのお客さんが来ることが多かった。

でも勿論MOONCHILDはオタクのお店ではない。普通のBarなのだ。オタク向けに作ったお店ではない。
そのミスマッチ感が実はお店の1年目から少しずつ出てきており、時の経過とともに大きい問題になっていった。

私がいない日にオタクのお友達が来ると「この前来たときと雰囲気違う・・・」

私がいてオタクな友達が多い日に、そうじゃない日にきたお客さん「この前来たときと雰囲気違う・・・」

そう。お客さん側にこの前来た時と違う現象が頻繁に起きていたのだ。
それが起き続けると、常連客になる見込みのあるお客さんがそのまま去っていく。
この問題の解決策として取った行動が、僕が面倒見てるメンバーとお客さんたちが気兼ねなく集まって楽しめる場所を作るというプランだった。その結果が今でいうSOUNDSGOODだ。

私は貯金もなかったのだが、お金を借りてお店を始めようという心構えになったのは、本当に上記の理由があったからだ。多分、僕に仲間がいなかったり、応援してくれる人がいなければそんなリスクは背負わなかっただろうなと今でも思う。

その覚悟を決めて物件を探し始めたのが2017年の春くらだったと思う。そう。実は1年くらい物件を探しては下見をし、理想に叶わず断念していた。

日々深くなっていくミスマッチ問題を前に、なかなか進まない計画に挟まれてこの時期はちょっと苦しんでいた。

そして2018年6月。那覇市牧志のライブハウス【バンターハウス】が閉店し、次を引き継ぐ人を探してるツイートがTwitterで発信された。
私はもう1年ちょっとこういうタイミングを待っていた。何も躊躇う理由がない。すぐDMした。今日会いに行ってお話を聞きたいと。

そしてその日の夕方。バンターハウスで当時の経営者である友利さんとお話をして、こちらの考えている新店舗の形を話したり、具体的な譲る条件を確認したり、次回の話し合いのタイミンングを決めたりした。

最終的に10件以上の問い合わせと条件の話をしたと友利さんはおっしゃていたが、7月中旬頃。僕の方で決まった。これは私が1人で友利さんにアピールしたのではなく、当時のMOONCHILDのオーナーが間に入ってくれた力もあった。とても助けてもらったと感謝している。

僕側に譲るのが決まってからは2ヶ月以内でのオープン準備となるのだが、実際に僕がお店の鍵をもらい、お店で準備に入ったのが9月11日くらいでオープンの四日前だった。それはもうバタバタした。準備が多いのはもちろんだが、掃除や片付けも多くて、オープンイベント時は内装外装はそこまでバンターハウス時代と変わらないながらも、SOUNDSGOODはスタートした。

お店のオープンイベントでは、当時から縁のある仲間のバンドさんなど集めて派手に楽しませてもらった。三日間大賑わいだった。

さて、そんなこんなで始まったSOUNDSGOOD経営。オープン前からSOUNDSGOODでは、お店側で専属のパフォーマーを持つ計画があった。

ライブハウスという形態で始まる以上、外部からイベントが入らない週末はキツいはず。その空いた週末をお店のパフォーマーがイベントで盛り上げれればきっと強いお店になる。
なので、お店のスタッフ募集時はアニソンを歌ったり、踊ったりすることに興味があることを募集要件に書いていた。お店で週末アニソンを歌って踊るグループを作ろうとした。そして集まってきた初期のスタッフたちとのBBQ写真がこちら

楽しく余裕ある感じに見えるが、内情は全然余裕がなく、お店始めるために借りたお金が11月にはほぼ無くなっていた。全然外部からイベントが入ってこなく、突発的に作ったイベントも大きな売り上げを出しきれなかった。

このままでは、せっかく集めたスタッフがステージデビューする前に終わってしまう。それは何がなんでもまずい。めちゃくちゃ歯を食いしばった。頑張った。

そして12月。お店のスタッフによるアニソンパーティーが初開催された。お客さんはいっぱいきてくれたし、この日に向かって頑張ってきたスタッフたちのステージは格別だった。

そこからお店のスタッフは練習を週2〜3回こなしつつ、スタッフの数も順調に増えていき、スタッフがパフォーマンスできる楽曲も増えてきた。

2019年4月、このSOUNDSGOODで集まったアニソンパフォーマンスグループを【SOUNDSGOOD GIRLS】として毎週末アニソンパーティーを開催するグループとなった。
SOUNDSGOODは椅子テーブルがあるライブスペースなので、その理を生かして、みんなが長時間ゆっくりできるアニソンパーティーイベントを提供していった。

メンバーの成長につれ、外部でイベントできる機会も貰えた。
台湾遠征ライブもしたり、ネットオーディションに勝ち残って楽市楽座というかりゆし58の前川さん主催の野外イベントにも出演を果たした。とてもいい思い出だ。

そしてお店の一周年の時は、お店のスタッフだけで1時間ノンストップアニソンステージをできるまでなった。とても凄い成長だったし、個人的には感動で胸いっぱいのイベントだった。

私も、そんなスタッフから刺激をもらい、お店以外の時間を作れるようになったとき、またもアニソンコピーバンドを作った。夢を持ってる人たちにいい未来をというテーマで【GOOD LUCK DREAMERS】というバンドを結成した。個人的に名前はダサいとかなとも思ってるのだが、そのダサさが好きなのだ。ダサいくらいストレートなのが私にはちょうどいいのだ。そしてこのバンドでのライブも最高なので、たまにしかライブしないが(私のせい)もしよかったら今度見にきてほしい。

そしてお店は、順調に伸びていき、2020年2月はSOUNDSGOODで最高売り上げを出した。これからSOUNDSGOODがより大きくなっていく。そんな確信を持っていた。

だが。そんな時にやってきたのがコロナウィルスだった。

2020年3月から、SOUNDSGOODはお店のイベントが軒並み無くなっていく。4月5月はすっからかん。営業なんてできるわけ無かった。テレビでは毎日感染者数の発表。ライブハウスでのクラスター報道。

それでもお店を持っているのだから取るものはとられる。僕の手元はまた0円になった。

ここはお店経営をしてて1番悩んだ時期だ。お店の売り上げが絶頂の時に、未来があまりにも見えない展開。複数のライブハウスの閉店発表。悩んだ。

現状借金が残ってる状態で借金を上乗せして営業を続けるのか。でも黒字になる未来がいつからか見えない。半年で戻ってくる保証はない。
どうしようか。

最終的に出した結果は、借り入れしての営業継続。理由はパフォーマンスを頑張ってきたお店のスタッフをここで切れない。お店のファンが帰ってくる場所を残さなきゃいけない。まだやり足りない。この3点だった。

先行きのわからない延命活動を選択した。

2020年5月終わりから、大好きなカレーをテイクアウトで販売する営業を開始。6月からは、感染対策をしてライブをしない営業をする。でもまた第2波、第3波がきてイベントはキャンセル続出。まともな営業ができない。でもお金は無くなる。ギリギリだった。精神的にはきつかった。

2020年夏〜秋にはお店のスタッフが、他の接客あるお店(いわゆるコンカフェ)で働きはじめた。実は元々ダメだった。でもお店の経営が止まってる中で全員に給与を払うことはできなかった。みんな生活がある。なのでOKを出した。

でもそこでOKを出すことは。もうコロナ前には戻らないだろうという未来を飲み込んだ瞬間だった。複数のスタッフが他店舗で働きはじめた。

先に言えば本当にこれは悪いことではない。何度も言うがみんな各々の生活がある。そして極力好きな仕事をやるっていうことに悪いことなんてあるはずがない。これは誰も悪くはない。ただ、私の力ではどうにもならないことがあることをまた一つ知ったということと、それを寂しく思ってしまう自分がいたというだけだ。

今は気にしてないし、最初から今日までその方がみんなのためだと思ってる。

2021年。ここまで苦しんで経営してきたことが救われるかのように、協力金という方法で助けてもらうことになった。本当に助かった。もうカツカツだしライフは0に近かった。回復するMPもない。これがなければ去年でお店を閉めてたと思う。

でも2021年、お店はコロナという時代に変化を必要とされた。イベント開催しても集約が弱かったり、そもそもライブできるバンドやパフォーマーが減った。この時期に仕事の関係でライブができないという理由で断られまくった。しれっと解散したバンド、活動を辞めた子もいる。

こんな時代だ。何か新しくはじめなきゃいけない。切り開かなきゃいけない。

配信ライブに挑戦したり、少人数での企画を打ったりした。その中で、精力的に動き、僕がはまってしまったのがDJイベントだ。

DJイベントは演者が少数で済む。そんなキッカケで始めたのだが、最終的に機材の使い方を覚えようと思って触ってた僕がどハマりしてしまった。

2021年秋、お店の周年祭。僕は10年以上一緒に仕事させてもらってるアニソンを使った、アニソンDJとしてパフォーマンスをした。楽しかった。

周年祭では、なかなか集まることができなくなったSOUNDSGOOD GIRLSに集まってもらって、SOUNDSGOOD GIRLSでやってたアニソン楽曲だけを流すDJをした。スタッフが踊り出したり、お客さんも歌い出したり、ちょっと泣いてしまう思い出のアニソンを流したり、忘れられない夜を思い出す忘れられない夜だった。
久しぶりに集まった時の写真(全員ではないけどね)

そこからお店は、DJイベントを増やしていきながら、今にやっと戻ってきます。いやぁ長い話になってしまいここまで読んでくれたみなさんには感謝です。

オタクコラムなので、オタク側の情報と最低限のお店へ思い入れに絞った内容ですが、本当は普通のバンドライブに、弾き語りライブ、お笑いライブ、映像鑑賞会等、SOUNDSGOODでは開催してます。そこの思い入れまで語るともう終わらないので省きました。ご了承ください。

この3回分のコラムで、わたくし健兄がなぜSOUNDSGOODというお店を始めたのか、なぜオタク関係のことばっかりやってるのか、私の頭の中を少しは伝えきれたかと思ってますが、、、どうでしょうか。

最近、健兄にとって、オタクカルチャーって何ですか?っていう質問をもらいました。その時パッと出たのが「僕を救ってくれた救世主」でした。

僕はこの3回のコラムを通して、改めて救われてきたなと思ってるし、追いかけてきたなと思っています。そしてそれはこれからも変わらないだろうなと思うし、今度は僕が1人でも救える側の人間になりたいと思っています。

普通のロックやポップス、弾き語りでもなんでもOKです。僕は自分にできる目の前のことを全力でやります。みんなに喜んでもらえ、みんなが多くの仲間に出会い、多くの夢が繋がることを願って今日もSOUNDSGOODを経営してます。オタク系が多いのは経験値上、ちょっと強みだし、そういう仲間が多いからという話でした。

(SOUNDSGOODを持ってから外部でイベントをやる余裕がなく、出る余裕もないためイベントの歴史なんて本当にこれっぽっちも語ってないですが、お許しください)

さて、そろそろ本当に終わります。次回から、やっとコラムっぽくなる予定なので、どうぞ次回もよろしくお願いします!

■SOUNDSGOOD infomation
7月18日(祝日・月曜日)お昼〜夜
SOUNDSGOODにて、県外ゲストを招いたアニソンDJパーティーを行います!
県外からの下記のゲストを招いたパーティーをやります!
詳細は近日公開!公開後、こちら更新!今しばらくお待ちください。

1.ジャンプや仮面ライダー公式とコラボしてリミックスCDを出す最強DJ【シーザー】さん
2.Twitterフォロワー数が約15万の美女レイヤーDJ【りさまる】さん
3.秋葉原発のアニソンダンスグループRABのメンバーにして沖縄出身【とぅーし】さん

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■筆者information
【健兄・Twitter】@funnybunnyken
【店舗・Twitter】@soundsgood0915
当コラムはnoteで完全版を展開中!
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