人生七転び八起き Vol.4


【T小学校】

社会人1年目はU市立T小学校で勤務しました。
私は病気で1年間休まれる先生の代理として、5年生の学級担任を務めました。
1学期はまずまずだったと思うんですよ。最初にリョウというやんちゃな子が目についたので、彼をリーダーとして育てようと考えました。彼は私が担当するサッカー部に所属していたので、放課後一緒に練習しました。
勉強が苦手だったリョウも初めの頃は真面目に勉強していましたが、授業についてこれなくなると、やる気もなくしてしまいました。そうすると友達の邪魔をしたり、私語が目立つようになり、彼を注意する回数が増えていきました。こうして彼との関係が徐々に崩れていきました。
リョウの授業態度が悪くなると、周囲の児童にも影響が出てきました。いつの間にか学級は真面目に勉強するグループと怠けるグループに分かれてしまいました。怠けるグループに何を言っても聞いてはくれません。これがいわゆる学級崩壊ってヤツです。

原因は大きく2つあったと思います。まず1つ目は叱り方が分からなかったことです。児童の叱り方が分かず、これまで自分が受けてきた方法で叱りました。私の怒りに任せた叱り方は当然児童には受け入れられるはずもなく、次第に児童の心は私から離れていきました。そして私は先生の立場でありながら、学級で徐々に孤立していきました。
2つ目は授業が下手だったことです。勉強が得意な子は放っていても1人でやります。苦手な子が楽しく参加できる授業を展開しないとダメなんです。事前に教材研究をしっかりやらないといけませんでした。教師という職業は「子供が好き」なだけでは成り立ちません。理論に裏付けられた実践力がないとダメなんです。
リョウへの接し方も不十分でした。父親のいない児童の気持ち、寂しさゆえの反抗を理解してあげられませんでした。また、勉強の苦手な児童の気持ち、意味の分からない話を聞きながら、45分間も椅子に座り続けることがどんなに苦痛なことかを理解してあげられませんでした。

大学で学んだのは知識だけだったので、卒業してすぐに教育現場に飛び込んだ私に実践力は皆無でした。学級崩壊は起こるべくして起こったのです。
残念なことに学級でいじめがありましたが、やはり解決することはできませんでした。私はいじめられている児童を慰めたり、励ますことしかできませんでした。
校務分掌(※1)は飼育委員会でした。飼育小屋にはヤギ、七面鳥、鶏、ウサギがいました。中でもヤギが食べる餌の確保が大変でした。前任者は草刈機を使って、餌用の草を準備していたそうですが、勝手が分からない私に当然できる訳がありません。困っている私を見て、職員数名が草刈りを手伝ってくれましたが、長くは続きませんでした。もう少し楽な方法はないかと考えた私は、近所の商店に事情を説明して、廃棄する野菜を分けてもらえることになりました。しかしこれも長くは続かず、結局ヤギは前任者のいるお隣りの小学校に引っ越すことになりました。まさにドナドナですね。
こんな私でしたが頑張ったこともあるんです。夏休み期間中に勉強の苦手な児童を登校させて、一週間補講を行いました。勉強の後は頑張ったご褒美としてプールで遊びました。そして保護者からサンドイッチをいただいた時には「補講、やってよかったな」と思うことができました。
ある日、授業開始時に児童数名が見当たらないことがありました。誰かが「逃げたよ」と教えてくれました。それを聞いて、授業はそっちのけで校外へ探しに行きました。私の授業、ホントつまんなかったんでしょうね(泣)。

もう自分1人じゃ無理だと判断し、勇気を出して教頭先生に「助けてほしい」と申し出ましたが、彼の返事は「自分で解決しなさい」でした。それってどうなの?
そんな私にとっての唯一の救いは数名の真面目な児童の存在でした。彼らがいなかったら、きっと私は出勤を拒否していたことでしょう。
3学期になると私の精神はギリギリの状態で、何とか踏ん張っていました。仕事を終えて帰宅すると「職場に行きたくない」と毎日泣いていました。あー、恥ずかしい。そして「あと何日で学級とサヨナラできる」と指折り数えていました。

そして最後の日には保護者のTさんが食事に連れて行ってくださいました。「やっと終わった」という感じでした。2年後にそのレストランでプロポーズをしました。
この1年間の出来事は人生における苦い思い出ベスト5に入ります。「人生で1番辛く苦しかった年は?」と聞かれたら、迷わずこの年だと答えるでしょう。それほど大変でした。大学で学んだことは全くと言っていい程、役に立ちませんでした。
でも29年経つと笑って話せるようになるんですね。人って意外と頑丈なのかもしれません。できれば思い出したくない、忘れてしまいたい記憶でもありました。

昨年の失敗を踏まえて、心機一転で臨んだ2年目は4年生の学級担任を務めました。傷付いた私の心を癒やしてくれたのは、やはり学級の児童でした。反抗することもなく、澄んだ瞳で私を見てくれました。
まず初日から嬉しいことが待っていました。教室に入ってみるとキレイなテッポウユリが教卓に飾られていました。優しいモモヨが自宅の庭に咲いていた花を持ってきてくれました。この出来事は今でもはっきりと覚えています。当時から現在までモモヨは私の義母が運営する琉球舞踊教室に通っていて、義母から彼女の話を聞く機会があり、近々大学の教員になるそうです。
毎日楽しく働きながら「5年生と4年生って、こんなにも違うんだ」と驚きました。特におしゃまなナミは私のことを気に入ったらしく、私の膝の上にぴょこんと乗ってきたり、遠足でお菓子を差し入れてくれたり、自分の誕生日会に呼んでくれました。また「先生はナイチャーだから、沖縄のお盆は分からんでしょう?」と自宅に招待してくれた保護者もいました。あんなにも嫌われていた自分が、まるで生まれ変わって別人になったような扱いを受けました。

こんなにも素敵な児童を受け持つことができたことに幸せを感じ、次第に「あー、来年もこの子達と一緒にいたいなぁ〜」と思うようになっていました。しかし、それはムリなこと。学級の児童と楽しい思い出を作るために、お昼休みに一緒に遊んだり、市主催のドッジボール大会に出場しました。ホント、毎日が夢のようでした。
いよいよ3学期。例年は学芸会が開催されますが、この年は行事を縮小して、学習発表会として開催されました。会場も体育館ではなく、教室になりました。大きな舞台での発表はなくなりましたが、慣れた所で好きなように飾り付けができるとプラス思考でいきました。
「う〜ん、発表は何にしようかなぁ?」と考えたところ、丁度国語で「ごんぎつね」を学習していたのでひらめきました。この教材は私も小学生の時に学んだことのある、思い入れのある物語でした。そして、ラストの無情な別れのシーンも記憶に残っていたのでした。「よしっ、コレに決めた」と児童に説明して、了承を得ました。しかし、ただ同じストーリーではつまらない。もっと夢のあるファンタジーな物語に展開させよう!ということで「その後のごんぎつね」と題して、ラストをハッピーエンドに作り変えることにしました。やはり、モノマネよりもオリジナルの方が観客の心に響きますよね。
もちろん、シナリオは児童の手作りです。まず児童全員に作文を書かせて、その後に発表させました。それから、どの作文が1番よかったかを多数決で決めました。選ばれた作文をシナリオとして、演劇を披露しました。
演技力はイマイチなので、雰囲気作りにも配慮しました。校庭に落ちている枯葉をたくさん集めて、一枚一枚、教室の至る所に貼り付け、ごんぎつねの世界を再現しました。この装飾はのちに保護者から「よかったよ」と褒めていただきました。そうして大成功の内に幕は閉じました。めでたし、めでたし。
一年を締めくくるお別れ会では私のオルガン伴奏で「ありがとう・さよなら」を歌ってもらいました。オルガンを弾けない私はこの日のために一ヵ月程特訓したんです。そして最後は金八先生みたいに1人ひとりにメッセージも贈りました。

この1年間は私が理想とする教師に一歩近付くことができ、自信を持つことができた、大変素晴らしいものになりました。それから学級とお別れした後も、しばらくは交流が続きました。翌年の新学期にPTA役員だった保護者の計らいで、「児童が私に会いたがっている」と会う機会を作っていただきました。ホント、感謝です。4月から私は中学校で生意気な生徒と毎日戦っていたので、心底癒されました。また「私の車が止まっているアパートを見付けた」とおしゃまなナミから連絡か来たので遊びに連れて行く約束をしました。そして具志川野外レクリエーションセンターで遊びました。教え子のカズサは同じ校区内に住んでいるらしく、今でもたまに見掛けますが、挨拶を交わしていますよ。

教師1年目は大失敗でしたが、2年目は成功したと思っています。次回はいよいよ中学校編です。

※文中に登場する生徒名は全て仮名です。
※1)校務分掌(こうむぶんしょう)とは、学校内における運営上必要な業務分担である。 業務分担のために編制された組織系統を指すこともある。 児童・生徒の生活・進路の指導や時間割の作成、保護者団体や同窓会など外部団体との交渉・調整などについて、それぞれを担当する分掌組織が中心となって業務を行う。 引用元:Wikipedia

■筆者information

沖縄素潜り人 「 One Breath 」
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