園子せんせいは定時あがり Vol.2


【セカンドハンドと万国の母】

むかしから古着が好きである。
小学生から米軍基地の週末フリーマーケットに通って、100円のリーバイスデニムやらTシャツやらを買ってきた。サイズ違いなんてしょっちゅうだったけど(試着なんてできないしね、外だし)、おかげで安物買いの目が肥えた。それに、安く手に入るものだとリメイクする心理的緊張が大幅に緩む。アメリカンコミックのアニメがばーんとデザインされた巨大な枕カバーを買ってリュックに仕立てたり、ブルージーンズを短く切ってスカートに縫い直したり。zipper世代にはまことに楽しい遊びだった。

イギリスに1年住んでいた時、たいへんお世話になったのもリサイクルショップである。南国からヒースローに着いたのは8月の下旬だったが、気温15度とすでに沖縄の真冬の気温だった。冬物はのんびり船便で送っていたため(その辺がもうリサーチ不足の甘ちゃんよね)、寒さに震えるその足で町のリサイクルショップに連れて行ってもらったのである。コートやらセーターやらを買い込んで人心地ついたあと、服は現地で買うものだと実感した。だって沖縄の冬物じゃ北国で冬越せないじゃん。
先にリサイクルショップと言ったが、イギリスの多くは(欧米には多いらしい)チャリティショップだ。ひとびとが不要なものを持ち込み、それをボランティアの方たちが選別しては売り、売り上げはすべて寄付という慈善事業団体である。お国柄のクラシックなティーカップセットやレトロな靴やバッグなど、お宝を掘り出すことも珍しくない。欧州へ行かれる際にはお土産探しにのぞいてみると楽しいですよ。

リサイクルショップは和製英語なんだそうだ。英語ではSecond hand shopという。セカンドハンド。2番目の手。なんてすてきなんだ!と、若き園子の瞳孔は開き気味になったのである。古着、となんの疑問も持たずに使っていたけれど、古いという言葉よりも、次へと手渡される手をイメージさせる言葉のほうが、受け取りたくなりませんか?

たいへん前置きが長くなったけれど(ええこれ前置きです)、子ども服のお下がりをいただくことがとても多い。段ボールを開けるとそれぞれの家庭の柔軟剤の香りが一気に広がり、私が買いそうにないデザイン、色、素材のものが次から次へと出てくる。小躍りである。子どもにその服を着せてSNSに写真を投稿する。送り主から、「ああうちの子がこの服着ていたころを思い出す、うれしい」という連絡をもらう。お礼をしようとするときっぱりと辞退される。なむなむ、いつか必ずやと心のなかで手を合わせ、感謝の念を飛ばす。お下がりは生理的に無理、という方ももちろんいらっしゃると思う。お下がりを楽しむくらいのずぼらさで生きていて、私は生きやすいなと思っている。無論どちらも否定されるべきではない。

沖縄にある、ふたつの団体を紹介したい。
ひとつめは北谷町宮城にあるOki hands oki heartsである。中古品を販売し、売り上げは児童養護施設を卒業した子供たちへの寄付にしている。米軍関係者の寄付も多く、彼らは袋いっぱいの服をまとめていくつも置いていく。有能な女性スタッフ達が素早く選別し、品物はすぐに店頭に並ぶ。子どもの服、靴、おもちゃも多い。このお店を知ってから、私はだいぶここにお世話になっている。子どもの服なんて驚くほどすぐにサイズアウトしてしまうから、まだまだ着られる服ばかり並んでいる(しかも激安。100円とか)のは有難すぎる。売り上げが寄付、って消費社会に生きる人間として、精神衛生上良いですよね。18歳で児童養護施設を出て、すぐに大人になれって放り出す社会より、自動車運転免許も、敷金礼金も、サポートするよ相談してって言える大人がいっぱいいる社会が良いな、と思う。インスタもあるのでのぞいてみてねー。
ふたつめ。服福エクスチェンジというイベント?である。こちらもインスタ、facebookあります。こちらはもっと単純に、要らない服を持ってきて、欲しい服持って帰ってねーというイベントである。会場は変わるのでご検索ください、でもどこもオサレ度高めです。私は友人と一緒に行って、会場で友人の服を貰ってきたことがある。考えたら、仲の良い友人でも「服のお下がりちょーだい」っていうこと、ないじゃないですか。あります?服持ってって、服(福)貰って帰る。SDGs万歳!
ファストファッションが世界を席巻した時代が終わりつつある。ライカムのforever21が撤退したのはそんな時代の終焉を象徴してるかもしれない。数百円の服が季節ごとに捨てられるライフスタイルが、地球に良いわけは絶対ない。まだ着られる服、でもいまの自分には合わない服、気分じゃない服。誰かの手に渡ったら、宝物になるかもしれない。沖縄でそんな『循環』が、生まれようとしている、ほかならぬ私の大好きな「服」で。

私が大量にもらった赤ちゃん服は、友人のもとに生まれた新生児のために鎌倉へと旅立った。その服を着た赤ちゃんの写真を、うるうるしながらずっと眺めている。ああ、この服着ていたな、こんなに小さかったのか。その気持ちがいまようやく私にも分かった。同時に、自分もこの服を通じて誰かの母親になれた気がする。大きい話をすれば、服がだれかの子に渡って広がっていくことで、もはや万国の母になる気持ちになる。

子どものお下がり服のタグに、だれかの名前がネームペンで書かれてある。一度、それが4人だったことがあって、笑った。愛おしくて抱きしめたくなった。5番目の手に渡ったアンパンマンのシャツは、娘のお気に入りのひとつである。

■筆者information
当コラム著者の方は、コチラでも執筆中!
【ふくぐみ】
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短編小説×アート【沖縄草子】
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