園子せんせいは定時あがり Vol.5


通報された件。

児童虐待の疑いで通報されたことがある。
色々思うところがあったので一度整理しておこうと思う。

まず、朝の6時半に近所から赤ちゃんの尋常じゃない泣き声が聞こえてきた、という主訴の通報が警察になされた。パトカーと覆面警察がすぐに配備され、マンションの部屋が一戸ずつ訪ねられ、家々の戸も叩かれ、最終的に我が家に警察官がやってきた。

朝の6時20分に尋常じゃない泣きわめき方をしていたのは、何を隠そう我が子である。

泣いていた理由は今でも笑えるが、その日提出せねばならなかった検尿だった。
0歳児クラスの子が検尿を提出するとは保育園に通わせるまでつゆ知らなかったが、園から頂いていたおむつに装着するビニール製の検尿キットは、私には難易度の高いものに思えた。
先月布おむつの記事で、娘は3ヶ月からトイレに座らせたら排泄ができるようになったと書いた。しかし、11ヶ月を過ぎた頃から子どもはトイレの便座を激しく嫌がるようになっていた。自分で歩けるようになり、移動の自由がきくようになると、トイレに拒否感を持つ子も多いと聞く。それを無視して、起き抜けの子どもを便座に座らせようと格闘した際の泣き声が、近隣に激しい虐待を連想させたのだった。

たまたまであったが、訪ねてきた警察官はそのひと月まえくらいに近所を回って顔つなぎにきていた壮年の男性だった。その際は和やかにこちらの名前や職業や子の年齢を伝えていたのだが、彼は朝早く騒がせることを詫び、赤ちゃんの激しい泣き声があると通報があったのだが心当たりはあるかと訊いた。私はケロリと「あ、それうちの子です」と白状し、検尿の格闘を説明し、念のため子どもの服をめくって疵の無いことを確認してもらった。事情聴取は出勤前の時間に重なり、子どもは怯えたまま抱っこから降りず、周辺は何台ものパトカーと不安げな住民たちの視線が埋め尽くした。(その後数日間、警察が付近をパトロールするようになった)

SNSに「虐待疑いで通報され人生初の事情聴取」と投稿した。笑いマークを付け、個人的には「うけるでしょー!」という軽い気持ちであったが、コメント欄を埋め尽くしたのは通報者への怒りと悲しみと同情だった。「園子の育児が虐待ならうちは・・・!」という笑えるものもあったが、多くは私以上にショックを受け、通報した人への反論や力を落とさないよう励ましの言葉など、想定した以上に心遣いを受けた。おどろいた。常々シンママとして必死に育てている中で、もちろん皆に支えられていると感謝してきたが、こんなにもたくさんのひとに応援されていたとは、と、こんな時だが胸がつまる想いになった。

通報した人は、近所に新しく越してきたひとだった。
私は現在の家に住み始めた時、引越の片付けが一段落したら、向こう三軒の家々を菓子折携えて挨拶をしてまわった。赤ちゃんとママだけの女所帯である。近隣の方達の理解と目配りも必要だ。おかげでお隣さんはよく声をかけてくれ、お互いの子どもの成長を喜び合う間柄になった。歩き始めた子どもと散歩をしていると、その歩みに目を細めてくれる優しいご近所さんたちである。
新しく越してきた方は挨拶をされたことがなく、すぐ隣に住んでいながら家族構成も名字も未だに知らない。沖縄も世知辛くなったなぁとぼんやり思っていたが、まさか通報されるとは思っていなかった。無論、激しい虐待で亡くなる子どもが報道される昨今、その端緒は子どもを助けたいという正義感であったのだろうと思う。

もし、私たちがお互いを知っていればどうだっただろう。「今朝の泣き声聞いた?!すごかったわねえ!」「あ、あれうちの子なんです(笑)検尿で(笑)」「あらー!おしっこ頑張ったのー!」という会話になっていたのではないだろうか。少なくとも通報の手前で、隣に声をかけようと思ったかもしれない。
挨拶はしないけど通報はするのか・・・寂しい世の中だな・・・とSNSに書き込むと、「うちの子とぉっても元気でー❤親としては嬉しいんですけどぉ❤ちょっとご迷惑かけてしまったみたいでぇ❤って、こっちから菓子折もって挨拶行ったら?」と、絶妙に嫌味な反撃法を教示され笑ってしまった。

SNSでは私が虐待などするはずない、と私以上に憤ってくれた友人らに救われたが、果たしてこれから先、本当に虐待しないという保証はどこにもない。日々の仕事と家事育児、スケジュール管理や子どもの体調管理に、少なくとも私は毎日綱渡りだし、月一のお弁当会ひとつとっても、かなりストレスになる。SNSに子どもとの仲睦まじい様子やキャラ弁の写真をUPしている、虐待親の顔写真が時折ニュースに流れる。その彼我を思うとき、私たちに大して違いは無いのではないか、と思う。

繰り返しになるが、SNSで子の成長を我が子と同じように温かく見守ってくれている友人たち、道で挨拶するご近所さんたち、スーパーで目を細めてくれる客たち。私自身の両親や家族にはもちろん感謝であるし、「他人」である彼らの見守りも、私の育児の支えになっている。彼らの存在はこれから先きっと私に虐待を思いとどまらせ、気安く相談させ、家はぐちゃぐちゃ子どもは不穏でうまく行かなかった時の、「まぁいっか」との許しを与えてくれるだろうと思う。

親には支えが必要だ。子どもを愛するならば、ひとつでも多くのヘルプ先を見つけたい。
無論、いずれ私がその救助船となることも目標である。

■筆者information
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