園子せんせいは定時あがり Vol.6


I(アイ)メッセージとYOUメッセージ

日本人は自己肯定感が低いといわれる。
主語が大きい言説は基本的に疑ってかかるが、こと「自己肯定感」に関しては国際間のデータ比較も出ていて、どうやら本当らしい。
あなたはどうですか?自己肯定感。
そもそも自己肯定感とはなんぞや。
簡単に言うと、「ありのままの自分がOKな存在」であると信じていることである。「ありのまま」というのは、「他人との比較なしに」ということだと私は思う。「誰々と比べて自分は良い」ではなくて、そのまんまでOKだぜっていうこと。

これってやはりハードルが高いことかもしれない。
人生で初めて比較にさらされるのは、きょうだい間だろう。「お姉ちゃんはこうだった」「弟のほうができるね」等、親やまわりの大人が記憶にも残らないような一言を、子どもはわりと引きずって大きくなる。
そこに、中学から廊下に張り出される定期テストの席次なんかが出てくるから残酷だ。あれは一目瞭然で「あいつより上か」「下か」がわかる。進学校ほど席次に血眼になる生徒は多い。Twitterの固定した投稿に、自分の一番成績の良かった模試の席次を載せてる生徒がいた。あれは本当に、ちょっと辛い。
他人と比較して得られた快感は爽快で、満ち足りた思いもするのだけれど、甘い炭酸水を一気飲みしたように、すぐにのどが渇く。今度は誰と比較しよう、と探し出す。上には上がいるものだから、自分の成果がちっぽけなものに思えてくる。すぐにしょんぼりしてやる気をなくす。あるいは、下を探してその足を引っ張り踏みつける。
比較をする、ということから、解放してあげること。

親は、「席次が上がったから」この子を認める、「部活動の結果が良かったから」この子を褒める、ということもよくある。もっと小さい時から成果主義の褒め言葉があって、極端に言えば「テストで満点とったからいい子ね」である。子どもにとっては、不安になる褒め言葉である。満点を取らなかったら、いい子じゃないかもしれない。99点しか取れなかったら、関心を向けてくれないかもしれない。

比較され続け、成果のみで認められた子が成長すると、自分の価値を他者の評価に依存するようになっていく。ひとの言うことなんて無責任なもんなのに、それに一喜一憂して不安定になりやすい。エイジズムやルッキズムに翻弄されることも多い。
私はオリンピック、パラリンピックを複雑な想いで眺めている一人だけれど、コロナ禍はもちろんだが、やはり感動をあおる報道の仕方も気になる。「頑張った人」「結果を出した人」のみが評価される社会は苦しいなぁ、なんにも結果を出せなかった「フツーの人」も、それぞれの人生をいじましく生きているのになぁ、と思ってしまう。
9月、学校へ足が向かない子どももいるだろう。特にこのコロナ禍だ。足並みをそろえようとする学校と、周りの子より学業が遅れてしまう心配をする親との間で、辛く思う子どもの声は聴かれているだろうか。他との比較によって己をむしばむ毒は、いつも罪深い。

「努力の結果を評価しないのか」「競争して高めあってほしいだけだ」という方もいらっしゃるだろう。ここで、園子せんせいがおすすめする伝え方をひとつ、お耳に入れていただければと思う。いや、べつに私が考案したものではなくて、カウンセリングの作法をかじると最初に出てくるものだ。

想像してほしい。例えば、朝、布団から出られないあなたに母親がこんなことをいう。「いつまで寝てるの!いい加減にしなさい!遅刻するよ!」
あなたはのろのろと起き上がりながら、
「いま起きようと思っていたのに…」と、心の中で悪態をつく。
この母親のセリフは、YOUメッセージといわれるもので、主語が「あなた」なのだ。
「(YOU)いつまで寝てるの!(YOU)いい加減にしなさい!(YOU)遅刻するよ!」
いかがだろう。ジャニーさんのものまねができただろうか。
冗談はおいておいて、この主語をYOUにする言い方は、反発を生みやすい。反発を生みやすいということは、相手の心に届きにくい。
これを、I(アイ)メッセージに変えてみる。するとどうだろう。
「(I=私)そろそろ起きたほうがいいと思うよ。(I)遅刻するんじゃないかと心配だよ」
…こんな穏やかな朝はどこを探しても無いかもしれないが、聞こえ方がまるで違うのを感じていただけたかと思う。

褒めるときも同様で、「手伝ってくれて(I=私は)助かった」「(I)嬉しかった、ありがとう」という言葉を、「(YOU)すごいね!」「(YOU)えらいね!」の合間にちょいちょい入れてみてはいかがだろう。
主語を省略する日本語は、あいまいになりがちな述語の落ち着きどころを意識してみると、どれほど多くの「あなたねぇ!」が隠れてたか分かる。いや、ぜんぶだめと言ってるわけじゃないんです。でも、I(私)を主語にすることで、相手に届くことがあるかもしれない。

余談だが、Iメッセージの副産物は実は話者にももたらされている。子どもが牛乳をこぼすたびに「…(3度目だぞこら)」と怒りたい気持ちを切り替えて、「…こんなにこぼされたらママ悲しいなぁ、ちゃんと飲んでほしかったなぁ」とつぶやきながら床を拭く。すると、「そうか、私は悲しかったのか」となんだか気持ちがしんみり落ち着くから不思議だ。
当の子どもは、「ごーめんなーしゃい」と平然としているのだけれど。

■筆者information
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