人生七転び八起き Vol.1


【沖縄にきたきっかけ】

私は普段から「どうして沖縄に来たんですか?」とよく尋ねられます。それは私の顔付きや苗字を見て、すぐに県外出身者だと分かるからです。
そういう場合、私は決まってこう答えます。

「大学進学のために沖縄に来ました」

それでは、もう少し詳しくお話ししましょう。
恥ずかしながら、私は中学・高校時代に「教師びんびん物語」のトシちゃん(田原俊彦さん)や「3年B組金八先生」の武田鉄矢さんを見て、教師ってステキだなぁと漠然と思っていました(まぁ、あれは理想の教師像だと大人になって気付くのですが)。
私は地元の進学校に通い、大学進学に向けて日々勉強していました。3年生になると毎日10時間も勉強していたので、正直嫌気が差していました。そのため、勉強をしなくていい仕事に就きたいと考えるようになっていました(勉強しなくてもいい仕事なんてないんですけどね)。3年生になり、卒業後の進路を決めないといけなくなりました。その当時、私は医者になりたかったのですが、医学部に進学するには学力が足りなかったので仕方なく諦めました。

どうしようかと悩んでいた時に兄のことが頭に浮かんできました。2歳年上の兄は体育教師を目指して沖縄県のR大学に進学していましたので、兄にできるなら自分にもできるに違いないと考え、私も体育教師を目指すことにしました。今思えば何とも幼稚で浅はかな考えだったのでしょう。運動が得意だった兄はスポーツテストで1級を取得して全校朝会で表彰されましたが、その姿がかっこよくて、密かに憧れていました。私が体育教師を目指すようになったのは、兄の存在が大きかったと思います。

私は最後の共通一次世代で、好きな大学を二校選んで受験できました。そこで私は第一志望を熊本県のK大学、第二志望を兄が在籍している沖縄県のR大学に決めました。どちらも二次試験は実技試験でした。R大学の対策として事前に兄から試験内容について教えてもらえたので、他の人よりは有利だったと思います。
まずはK大学の二次試験。苦手な1500m走の途中で足がつり、実力を発揮することができなかったので、一抹の不安を感じました。続いてR大学の二次試験。ハードル走ではフィニッシュでバランスを崩し転倒。兄から借りたTシャツを破いてしまいました。また、非力な私には砲丸投げや鉄棒運動は苦手でしたが、サッカー部員だったのでプレイスキック(置いてあるボールを遠くに蹴ること)は難なくこなすことができました。

数日後、K大学の桜は散りましたが、R大学の桜は無事に咲き、これから4年間、R大学で保健体育を中心に学ぶことになりました。
親元を離れての初めての1人暮らし。しかも、うちは貧乏だったので仕送りは一切もらえない状況でした。兄はアルバイトで生計を立てていたので、私も同じようにしなければなりませんでした。自分の力で果たして暮らしていけるのか、自信はありませんでした。生活費をどうやって稼ごうか、食事はどうしようかと考えると不安でたまりませんでした。母からもらった5万円を握りしめ、故郷を後にしましたが、古い那覇空港に迎えに来てくれた兄の顔を見て、少し安心することができました。困ったら、きっと兄が助けてくれる。そう考えると少しだけ心が軽くなりました。
こうして沖縄での新生活が始まったのです。

■筆者information

沖縄素潜り人 「 One Breath 」
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