人生七転び八起き Vol.6


★コラム6 ◯川中学校 前編

【プロローグ】
「子供が好き」「体育が好き」というだけの理由で私は中学校の体育教師になってしまいました。そこに大きな落とし穴が待っていました。
教師にとって「子供の成長を自分の喜びに変える」ということが不可欠ですが、残念ながら20代の私にその資質は備わっていませんでした。当時の私にとって、中学生は単なる競争相手でしかなかったのです。

【本採用】
これまで3年間、教師として働いてきましたが、臨時採用というアルバイト的な身分でした。
しかし、今回は県教育委員会から正式に採用された身分です。本物の教師になったという嬉しさと、しっかり働くぞという気負いがありました。

【初任者研修】
新規採用者には1年間の研修期間があります。授業時数が少ない代わりに、校内や校外研修がたっぷりと組まれていましたが、私は楽しく研修を受けていたと思います。特に他校の仲間と会って、近況報告することが好きでした。

【1年目】
2年生の学級担任を務めることになりました。ある日、教室に行った瞬間にタバコの臭いがしました。誰が吸ったのか生徒に尋ねましたが、当然犯人は出てきませんでした。後日、真面目で大人しい生徒が、こっそりと教えてくれましたが、信頼していたリーダーの仕業だと知り、少なからずショックを受けました。教師って裏切られる仕事なんですが、こういう風に助けてくれる存在もいて、心のバランスを何とか保つことができるんです。
この学級でも色んな出来事がありましたが、1番の思い出は修学旅行です。

【修学旅行】
教師になって初めての修学旅行。私には強い思い入れがありました。小6の時に修学旅行で阿蘇を訪れ、緑一面の米岳を見て感動したので、学級の生徒にも同じように感動してもらいたいと考えていました。阿蘇の体験学習はいくつかのコースがあり、生徒は自分が参加したいものを選ぶことになっていました。しかし、私は「クラス全員で同じコースに参加する」と勝手に決めて、半ば強引にクラスを説得しました。未熟な私は「自分のクラスは特別だ。私の願いを聞いてくれる」と勘違いしていました。どうしても全員参加はイヤだと主張する女生徒を説得しようとしたところ、「(やり方が)1年の時の担任みたいでイヤだった」と言われ、自分の過ちに気付かされました。ごめんなさい。
結局はクラス全員で米岳登山に挑戦することができましたが、秋の米岳はススキが生い茂り、ベージュ色をしていました…。

【接待】
修学旅行で色んな方から接待を受けました。夕食は生徒とは別室が用意され、そこには大皿に盛られた馬刺しがありました。もちろんお酒も用意してありました。恐らく、コレって旅行会社の接待なんですよね。「来年もウチを使ってください」というメッセージなんです。
最終日には大きな麻袋一杯のお土産をいただきました。恐らく、コレって土産店からの差し入れ(マージン)だったと思うんです。「来年もまた、ウチを利用してください」というメッセージなんですよね。
今でこそ、教師ってなり手のいない不人気な職業かもしれませんが、当時はこういう甘い汁が吸えたんですよ。

【宿泊学習】
学級レクとして、糸満青年の家に宿泊しました。確か、体育館でバスケをして遊びました。この施設は食事付きなので、準備する必要がなくて、すごく助かりました。生徒は夜中までTVゲームをしていましたが、学校じゃないし、たまにはいいよねーと普段よりは寛容に接しました。こんな時くらい、羽目外してもいいんじゃない?

【結婚】
4年間交際した彼女と夏休み中に式を挙げました。しかし、学級の生徒には内緒にしていました。冷やかされるのが嫌だったのかなぁ〜?

【バレエダンサー】
学級にタイラというバレエを習っている生徒がいました。彼は繊細な心の持ち主で、「学校で学ぶこと」に関して、疑問を持ったようでした。自分が進むべき道はそこ(学校)ではないといった感じだったと思います。
2学期から欠席が目立つようになった彼に対して、私は「無理して登校しなくていいよ」と言いました。彼は学校を休んでは市立図書館に通い、詩を書いていました。私は彼の心の世界を知りたかったので、「君の詩を読んでみたいから、いくつか詩ができたら、見せてほしい」と伝えました。彼は時々、フラっと現れては、私に詩を見せにくるようになりました。
3学期になり、彼が転校する際に、私の指導に対して「自分の気持ちを理解してくれて、嬉しかった」と言ってくれました。
その後、彼は中学卒業と同時にイギリスに渡り、バレエスクールに通った後、プロのバレエダンサーとして活躍したようです。現在、彼はバレー教室を開き、子供から大人まで幅広い世代にバレエを教えています。

【2年目】
学年持ち上がりで、3年生の学級担任を務めることなりました。前学級の生徒が数名いて嬉しかったです。昨年私の学級だった生徒から「先生のクラスがよかったー」と言われ、「今の学級もきっと楽しくなるから」と答えつつも、「去年の学級経営は上手くいったんだな」と内心嬉しく思っていました。
この学級は運動の得意な生徒が集まっていて、特に女子は学年でトップクラスの生徒が数名いたので、校内陸上や球技大会などの行事ではいつも勝っていました。

【ビーチパーティー】
学級親子レクとして、宜野湾市のトロピカルビーチでビーチパーティーを開催しました。レク係を中心に企画や運営を任せて、綱引きや宝探し、ビーチフラッグ、スイカ割りを楽しみました。

【卒業式】
前任校のイシダ中学校とは違い、厳かな卒業式を迎えました。
式終了後に地域の公民館を借りて、卒業パーティーを開催しました。約15年の教師生活の中でこのような企画は後にも先にもこれっきりです。それだけ、生徒との別れが名残惜しかったんでしょうね。

【才色兼備】
学級に美人で頭がよく、おしとやかなリリという生徒がいました。当然、男子から人気があったようです。彼女の夢は旅行作家になって、世界中を旅することでした。卒業後は開邦高校、慶応義塾大学とエリートコースへ進んだそうです。現在、彼女はエフエム沖縄のパーソナリティとして活躍して、ラジオから聞こえてくる穏やかで優しい声は、聞いていて心地いいです。ファンの間では「○リステル」と呼ばれています。

【3年目】
教師生活の中で初めて学級担任を外れることになり、何だか手持ち無沙汰な感じがしました。しかし、いざ自分が副担任という立場になって、多くのことに気付くことになりました。これまで、私は自分の力で学級をまとめていたと思っていましたが、それは大きな間違いでした。副担任の陰ながらの支援で学級経営が円滑に進んでいたことを知りました。今回は一歩引いた立場で全体を見渡して、学級担任を支援することを念頭に置いて行動しました。やり甲斐には少々欠けましたが、精神的に一回り成長できたのではないでしょうか?

ではこれ以外で体験したことを追記します。

【警備】
当時は夜間警備員が常駐していました。奄美大島出身のカバヤシさんは強面でしたが、得意料理の「サメの酢味噌和え」を何度もご馳走してくれました。

【同僚とドライブ】
学校車を借りて、同僚とやんばるまでドライブし、県民の森でグランドゴルフをしました。
また、カデナカーニバルにも行きました。同年代の職員とは積極的に交流を図りました。

【クラスマッチ】
学年のよその学級に挑戦状を叩き付けて、スポーツで勝負するというイベントをよく開催していました。学級内の団結力も向上するし、他学級とも交流が図れるということで生徒には好評でした。

【班ノート】
学級を六つの班に分け、各班にノートを一冊ずつ配りました。ノートには輪番制でその日の出来事を書いてもらい、学級の様子を知ることができました。私からすると、生徒と教師の交換日記みたいなもので、割と好きでした。

【飲酒】
学校近くの墓地で酒盛りしていると通報があり、急いで駆けつけることは当たり前のことでした。

【酔っ払い】
夕方、酔った状態で学校に来たヤンキー生徒。「辛いんだ」と泣いていたのが印象的でした。もう、おっさんやん。

【シンナー】
シンナーを吸引し、ラリった状態でヤンキーが学校にやってきて、玄関の分厚いガラスを蹴破りました。彼はリミッターが外れた状態で、ものすごい力で暴れ回り、大人3人掛かりでも取り押さえきれませんでした。

次回は4年目、5年目の話ですが、人生の大きな転換期を迎えることになりました…。

■筆者information

沖縄素潜り人 「 One Breath 」
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