INFOMATION
本土復帰50周年記念 なはーと公演
お笑い米軍基地
直前スペシャルインタビュー
FEC芸人・まーちゃんこと
小波津 正光
「基地を笑え!」の掛け声で『お笑い米軍基地』は、沖国大米軍ヘリ墜落事件をきっかけに始まった。事件のあった2004年8月13日、この日はアテネ五輪が開幕し、小波津正光氏は30歳の誕生日をむかえた。
多大なる影響力と爆笑を撒き散らし、形を変えたり戻ったりしながらまだまだ続く『お笑い米軍基地』。だって沖縄には、あの日と変わらず基地のある毎日が続いているから…。
今年2022年の8月13日、偶然が重なった「なはーと公演」が開催される。その直前の小波津氏の気持ちとは?
期待されてるなら応えたいし、それに僕らも期待したい!
●お体の方はお元気ですか?
「元気ですけど痩せてってますね!例年の新作公演が6月にあって、それを含めて4月くらいから台本書きっぱなしで、昨日やっと喜劇の台本が完成しました。喜劇をやるのは6年ぶりで、まずは7月末に博物館公演でやってみて、次なはーとでと続いてます」
●例年の新作公演は今年やっと通常通りの開催でしたね。
「3年ぶり、それでも会場によっては制限したんですが、みんなテンション上がってましたね!僕らもそうですけど、お客さんが喜んでくれたし待っててくれたという感じがすごくあって、名護での千秋楽も盛り上がって、喜んでくれている声をいっぱい聞きました」
「有難いことに、これだけ長年ずっとやっていても、毎年『新作公演どうなるんだろう』って僕もお客さんも楽しみに思えているんです。作ってみなきゃ解らない!って部分が大きいのですが、その時々の空気感を出来るだけ落とし込んでいるので、『今たぶん世の中の空気感はこれだな』と知れる大事な時間なんですよね」
●それは極端な話、直前に『これかも!』と内容が変わる可能性もあるということですか?
「それ、お客さんも期待しているだろうって思うんです。例えば公演直前や1日前であっても、世の中で何かが注目されると『まーちゃんなら?』と思われています。それは僕らの腕の見せ所でもあるし、長年やってきた能力が試される場面だと思っています。それは『コント』として落とし込むのに経過時間で変わる内容もあり、衝動的に作った時より、時間を置いて客観視して作った演目の方が同じ題材もお笑いの成立度が違ったり、同じ演目でも出すタイミングやどの部分までやるのかで見え方も違ってきます。そんな変化は自分でも楽しみな部分です。公演ごとに新しいコントを作ったりもします」
今年だからやる「なはーと」での公演とは
●今回は初「なはーと」での公演ですが、6月の新作公演と同じ内容ですか?
「6月公演の内容も入ってはいます。ですが今回の公演は2部制になっていて、1部はコント・2部は喜劇を予定しています。新作公演では各会場限定コントをやったんですが、それも入れています」
●各会場限定っていうのは、那覇だけ・名護だけということですか?
「そういうことです。1回じゃなくて他の会場にも観に来て欲しい気持ちもありますが、出演者にも常に緊張感を持って会場にいるお客さんが違うことでのプレッシャーやフレッシュさを体感してほしくて、それでモチベーションに繋がって欲しかったんです。『お笑い米軍基地』に久しぶりに登場する芸人や、今まで1度も出ていない若手、近年どんどん体力もなくなりセリフも覚えきれなくなってきているお年寄りメンバー(笑)、それぞれが芸人としてどうコントと向き合うか。全員に緊張感を持ってほしかったんです」
●確かに公演ごとに違う場面があると、見ている側もやる方も、繰り返しているという感覚ではなくなりますね。
「今回なはーと公演も、お客さんに楽しんでもらいたいのはもちろんですが、メンバーやスタッフに楽しんでもらいたいと決めたのも大きかったです。コロナウィルスの影響は本当にすごくて、仕事は無いし事務所辞めるメンバーもいるし、僕自身も辞めようと思ったし、ライブが出来ない、お客さんの前に立てない、じゃあ何のために?今までやってきたことは何も意味ないさって思ったんです。エンタメって生活の余白部分だなって、あらためて知らされました。僕がやってきたことに何の意味があったばーって。その中で5月15日の本土復帰50年、壺屋の旗頭の皆さんとエイサーをテンブス前でやったんです。復帰50年って言われてもお祝いじゃないただの節目だと特別視していなかったんです。急遽10日くらい前に、予定のイベントが無くなって声がかかり、エイサーやるなら旗頭も出てもらいたいよね?と、那覇んちゅとして両方一緒にできたらという気持ちで話してみたんです。実は那覇って旗頭とエイサーのコラボ、あまりないんです。旗頭側もエイサー側も、それぞれの文化やプライドがあって」
「そうしたら、演っている人たちがすごく楽しんで喜んで、それを見て良かった良かったと見物客も観光客も地域のみんなが喜んで、その光景に気がついたんです。『僕らがやっていることはお客さんを楽しませるだけじゃなく、やる側の僕たちが救われてもいいんだ』って思いました。そして『ウチナンチュであること』を再確認した瞬間でもありました。沖縄の芸能って歌や踊りや色々ありますけど、その時々のモヤモヤとか悲しみを芸能で消化しながら、どうしようもない感情を嬉しい楽しだけじゃなく苦しい辛いも、歌にして踊って生きてきたのだなと思えたんです」
だからまずは『うちのメンバーを楽しませようようやっさ』って!練習や公演期間もお弁当は僕がこだわって食べて欲しいのを探して注文して持ってきたり、どんな小さなことでも、みんなが何かを楽しみにその場にきてくれて、楽しんで舞台に立つからこそお客さんも楽しめる、原点に戻った感じで取り組みだしたんですね。僕が大病で入院して、明日死ぬかもしれないって思いをしてから今日まで、そんな想いは重なってきたんだと思っています」
節目におとずれた“偶然”、やるしかない!
●実は今回、特別なことがたくさん重なった瞬間と聞きました。
「なはーと公演には、かつての相棒も呼んでいるんです。これは本当に偶然!2月頃になはーとから『公演をしませんか?』と声をかけてもらい、調べたら偶然この8月13日が空いていて、これはやるしかない!と思ってすぐ決めました。その後、相棒に会う機会があって『今度こうやるんだけど来ないか?』と訊くと『じゃあ行くよ』って言ってくれて。近年『お笑い米軍基地』を知って見てくれている人は相方のことをきっと知らないし、僕と相棒が『お笑い米軍基地』の元になるコントをやったのがスタートなのもあるし、これは面白いって思ったんです。初期は相棒もずっと出演していたし、喜劇を復活させるならこのタイミングしかないとも思えました」
●ちなみにどうして『お笑い米軍基地』から喜劇を無くしたんですか?
「僕の入院がきっかけです。入院している間に色んなことを考えて、大変さもそうですしコントでもまだまだやれることがあると思い、今後はコントを中心にしようと切り替えました。でもいつかは喜劇を復活させようと思っていました。ただ『いつ』っていうのが自分でわからないままでした」
「そもそも喜劇をなんでやっていたのかを思い出したんです。オジイちゃんから子どもまで同じように解りやすく、様々な要素が含まれていて身近で、そんな気持ちだったことを思い出したんですね。メンバーも新しくなり喜劇未経験の出演者がほとんどなんです。コントの中でも、これまでやってきたことを伝えてきたつもりだったけど、喜劇に含まれている要素も体験してもらって伝えたいと思いました。そして喜劇をやろうという時は、ちょっと余裕がないといけない、より優しくならないとできないんです(笑)。それは多くの世代に伝える方法、エッジの効いたことばかりじゃダメで、コントよりもチームプレイの連続で、それって優しくならないとできないんですよ。僕が歳とったのもありますが、単純に今なら優しくなれる気がしました(笑)」
●『お笑い米軍基地』のコントは本当に濃くてドラマチックです。
単純に笑って終わるものだけでなく、実は別の作品とつながっていたり、合わせて考えることで不思議な気づきを感じるものも多く、人生劇のようだなといつも思っていました。
「僕が病気になったりプライベートで色んなことがある度に、そのモヤモヤや感情をコントに落とし込んできたつもりです。そうすることで、僕自身も乗り越えてきたり気持ちを消化してきたんです。人間って不思議なもので、そこから逃げ出したいともがいて、逃げて生きるためにガス抜こうとした瞬間、お笑いになると思うんです。そして限りなく余裕がないからこそお笑いが必要になるんです。余裕を持たざるをえなかった人間に『お笑い』は生きようとする証でその姿なんです」
●まさに、まーちゃんだから導き出された答のように聞こえました。
そしてそこに優しさもいっぱい感じられます。(笑)
「そこに繋がるんですけど、今回の公演は全編通して立場の違うキャラクター同士ガチャガチャとした後、ラストはみんなが救われるようにしているんです。僕が癌になって離れるメンバーも出てきて、しかも僕は集中してガチッとやるタイプでもあるから、窮屈さを感じたメンバーもいたと思うんです。でもそうでないと生きられない自分もいて(笑)。さっきの旗頭とエイサーみたいに、自分が動くことで目の前の1人でも救われてくれたら生きていられると思っています。一生懸命やる姿に誰かがホッとしたり幸せを感じてくれたら存在意義が出ます。まずはそれをメンバーにやろう!って今年はずっと考えていました。たまたま今回から公演メンバーに帰ってきた人がいるのもきっかけですが、そいつもその相棒も誰もが家庭の事情なりなんなりあるんです。歳を重ねてもどこかで『まだお笑いに憧れている』聞くと、一緒にやろうぜと言わずにいられないし、所属も経歴も関係なくガチガチに固めない『自分が楽しむためのお笑い』をやって欲しい。一度は諦めたお笑いを何かしらやりたくて、どこかの予選に参加している姿も知って、一緒に舞台に立てばいいじゃないかって、そういうことを半年やってきました」
エイサーどんどん!ちむどんどん!気持ちをのせた原点回帰
「映画『エイサーどんどん』には、僕自身がエイサーで救われた経験も活かしつつ、撮影の直前に僕も親父が亡くなってこの役柄がプライベートと合致して、本当に太鼓を叩くシーンを撮っている時に救われたんです。汗をかいてスッキリするっていうじゃないですか?同じように叩いてるとモヤモヤも飛んで、原始の時代からもしかすると人はこうやって、色んな気持ちを太鼓の音にのせて届けたり、逆にモヤモヤを忘れたくて叩いたり、踊って歌ってきたんだなと救われたんです。人間くささやらしさをエンタメに落とし込むことの重要さを、僕はそうやって体験していたんです」
●その時の気持ちが今年の公演にはたくさん活きているんですね。
そして内容も気持ちもあらたに「原点回帰」で、節目のなはーと、てんこ盛りの1年ですね!
「あの米軍ヘリコプターが落ちたのと同じ日、ここが全部のスタートだったって思うし、僕のコントや喜劇のスタイルもここからだったし、1番の原点回帰は自分たちがワクワクするのを思い出すってことです。なはーとという大きな会場でできることも、1000人規模の会場を体験したことのないメンバーと一緒にワクワクしています。そして相棒が来ること、喜劇が復活すること、色んなことがどんどん繋がってガッチリはまっていく気持ちよさにワクワクしています。しかも公演前日はウークイです。みんなで準備やリハーサルを早めに終わらせて、ぜひこの久茂地で道ジュネーみたいにエイサーをやりたいと思っています。
●スゴイ!お盆の日程までバッチリとハマって、なんだかドラマみたいです!(笑)
「なはーとは久茂地小学校の跡地で色々反対や大変なことも多かったとも聞いています。地域の方々ももちろんですが、なはーとの皆さんも苦労が多いそうです。そんな全部の思いを太鼓の音にのせて、みんながひとつになれたらいいし、公演の後にはせっかく国際通りまで出てきたのだから、買物や食事して行って欲しいし、早めに来て那覇の街を楽しんでもらえたらとも思います。公演を見るだけでなく、そこも含めてなはーと公演を楽しんでもらえたら最高ですね!」
早くやめたいけど続いてきた『お笑い米軍基地』これからは…
●以前のインタビューで「早くやめたいけど基地があるからやっている」と話してくれたのが印象的でした。
これが沖縄の日常で、何十年変わらず、これからも続くのかなと、毎年この公演をきっかけに考えます。
「エイサーもそう、お笑い米軍基地もそう、僕たちは超ローカルなことをやっているんです。FECの事務所が国際通りだから、僕らにとって国際通りでエイサーをやる理由はそうだし、ただただ沖縄に根を張ってやってきたんです。だから『お笑い米軍基地』は地元の誰もがわかるあるあるネタをやっているつもりです。たまたま始めたのが戦後60年という節目で賛否含めて非常に注目されました。それで初演はお客さんも会場に入りきれないほど集まりました。色んな偶然が重なって始めたからこそ、これからも色々と勝手に繋がっていけば嬉しいです!僕はただただ目の前のことをやっている、偶然に期待なんてしていないです(笑)。ただその時々で、それを必要と思ってくれる人がいて、偶然にでも出会って、みんなが盛り上がれば嬉しいですね!」
●こういうのっていわゆる「もってる」ってやつですよね?さすが芸人さん!
「それは少し僕も思ってます(笑)。その時の感じって自分でコントロールできない部分もガチッとあっていくじゃないですか。運命の流れみたいな、そいういうのもワクワクに繋がっているしずっと体験していけたら嬉しいです。たぶん真っ直ぐにひとつひとつやってきたことが形になっていると僕は信じています」
●では最後に、まだ『お笑い米軍基地』に出会ってない人やファンにメッセージをお願いします!
「もうこれに尽きます。騙されたと思って騙されてください!(笑)良い意味で期待を裏切りつつ、お馴染みの笑いを届けます!ただ笑いに来てください!」
お笑い米軍基地
https://www.kohatsumasamitsu.com/
小波津正光(コハツマサミツ)
1974年、那覇市生まれ。1993年に演芸集団FECに入団し、漫才コンビ「ぽってかすー」を結成。沖縄県内で活動した後、東京へ活動拠点を移す。
2004年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故の県外メディアにおける扱われ方が沖縄と大きく違うことに怒りを感じたのと同時に、沖縄の芸人にしかできないお笑いとして、米軍基地をお笑いのテーマとした舞台「基地を笑え!お笑い米軍基地」を企画し全国的な注目を浴びる。現在に至るまで全作品の脚本・演出を担当している。2006年より、沖縄芸人であることにこだわり、拠点を沖縄に戻す。以降、現在に至るまで県内で舞台、テレビやラジオ、執筆活動など多方面で活動中。
著書に「お笑い米軍基地」(2006年 グラフ社)、「まーちゃんのお笑いニュース道場」(2010年 琉球新報社)、「お笑い沖縄ガイド」(2009年 NHK出版)がある。琉球新報にて2本の連載を継続しており、2019年11月より琉球新報社と共催で那覇市の琉球新報社1階エントランスにて毎週水曜18:30頃よりスタンダップコメディの定期ライブをスタート。沖縄県内にとどまらず、沖縄のお笑いの県外への発信にも力を入れている。
INFOMATION
本土復帰50周年記念 なはーと編
「お笑い米軍基地」
日/2022年8月13日(土)
時/開場17:00 開演18:00
時/那覇文化芸術劇場なはーと大劇場
料/前売2,000円 当日3,000円
問/お笑い米軍基地実行委員会 098-869-9505
●チケット購入方法
①指定席(下記2カ所で購入可能)
▶イープラス(チケット販売サイト)
▶ファミリーマート各店(マルチコピー機)
②自由席(自由席エリアの確認は公式サイトへ)
▶デパートリウボウ(4階チケットカウンター)
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