沖縄オタク生活 Ver.ふらびゅう沖縄 第1回


初めまして。
今日から「沖縄オタク生活 Ver.ふらびゅう沖縄」を書かせていただくことになった、健兄(けんにい)と申します。

私は普段、那覇の真ん中でライブスペースを経営しており、ライブというエンタメによく触れる側の人間です。
それは音楽ライブ、お笑いライブ、演劇など様々なものがありますが、私のお店ではアニソンイベントと言われるアニメの音楽をバンドでコピーしてライブしたり、初音ミクを代表とするVOCALOID(パソコンで入力したメロディを音声合成技術を用いて楽曲にするソフトウェア)の曲を歌って踊るイベントがオープンした2018年9月から多く開催されています。

理由は、お店を始める前から私自身が沖縄でアニメソングをバンドでカバーして演奏したり、アニメソングのイベントを主催したり、アニメソングを歌って踊るユニットで活動したり、そういうコンセプトのお店に遊びに行ったり、そことの関係が深かったからですね。

もちろんそれは私自身がそこが好きだったと同時に、そのコミュニティが自分自身にとって居心地よく、尚且つ挑戦できる場所だったからです。

私がその世界(沖縄のオタクカルチャー、またはそのように捉えられるコミュニティ)に足を踏み入れたのは、2009年の12月。当時沖縄で水面下で話題となった沖縄初のコンセプトカフェ「Candy」に足を踏み入れたことにあります。

そこで私は衝撃を喰らう。この現実寄りの異空間はなんだ!?と。

店内に散りばめられたアニメ系のポスター、グッズ、そしてアニメのコスプレをした女性スタッフたちがおり、来店するお客さんたちを笑顔で迎える。そしてそこではみんなが笑顔で自分の好きなアニメや特撮、ゲームの話をする。そしてそのお店では、スタッフたちがアニソンを歌って踊るというエンタメステージが毎日行われていた。

私は初めの一回は興味本位で友達数名と行ったが、2回目からは1人で行くようになり、気づけば毎日行くようになっていた。そしてそのお店で出会った人たちとの縁で、自分でアニソンイベントを開催するまでになり、その後、お店を離れてからはアニメソングをバンドでやりたくなってギターを勉強したりして20代後半から当時の仲間を集めてバンドデビュー。

バンドデビューはその時築いていた人間関係にも恵まれ、沖縄で歴史あるライブハウス「宜野湾ヒューマンステージ」でさせてもらえた。
デビューライブの時は多くの友達がステージ最前で応援してくれていたことを今でも覚えている。

以降、毎月ライブをするほどに私はバンドも面白ければアニメを主体とするそのコミュニティにどっぷりだった。
その後、バンド活動と並行して、数百名規模のアニソンイベントを定期的に開催し、自分以外をプレイヤーとするアニソンガールズユニットの活動にもマネージャーとして携わる。

これだけアクティブが多いと、こんな狭い沖縄ではそれなりに名前が広がっていき、沖縄ではいろんな方と繋がり、よくしてもらっている。

そんな中、自分が雇われ店長をしていたBARを抜けて、自分のお店として2018年9月、沖映通りにお店をライブスペースをオープンさせたのだ。
ライブスペースと自分では言うようにしているが、いわゆるライブハウスだ。

僕の経験歴では口を大きくして言えないが、基本ライブハウスは週末稼働が中心の場所で、週末にそこの空間(ステージ)でライブがしたいので貸してくださいと言う方に使用料を頂いて成り立っている(話の主体じゃ無いのでこれくらいの説明で終わります)。
そして常にそれの繰り返しでお店は経営しており、ライブでそこを使いたいという人がいなければ、お店はイベントができず、売上が立たないので困っちゃうのだ。

ここで活きてくるのが私の今までの活動である。お店がオープンしたはいいけど、誰かお店でライブしてくれませんか?となったときに、今まで一緒にライブしてれたバンドマンやパフォーマーの方々、関わったクリエイターや応援してくれたお客様が力を貸してくれて、お店はオープン当初から今も含めていわゆるアニソンイベントが多くなっている。

半年後にはお店発のアニソンユニットもスタッフ内で結成され、台湾ライブやかりゆし58の前川さん主催のイベントにもオーディションで勝ち残りライブしたほどにはアクティブで、お店を支えてくれた優秀で偉大なスタッフたちだ。

これは何かの自慢とかではなく、私のお店のここまで至る経緯と同時に、皆さんへの感謝として記載させてもらってます。本当にありがとうございます。

そしてその感謝の原点を辿るとCandyと言う今も現存するお店にたどり着くのだが、そのお店と私やそのコミュニティを好んで楽しんでいる皆さんを繋げていたのが、アニメ・マンガ・ゲーム・アイドル・ニコニコ動画といったオタクカルチャーなのだ。

そして偉そうに言うもの恐縮ですが、私が足を踏み入れた2009年から2022年の今年に至るまで、オタクカルチャーは技術の発展と同時に進化していき、そこに追随するかの如く、沖縄という日本列島の端っこの端っこにある独自の文化で形成された離島も進化してきた。

沖縄で地上波TVでのアニメ放送はかなり限定されていて、深夜アニメなんて全然放送されず見る機会がなかったアニメ難民ともいうべき沖縄人が、今でもTV放送は少ないにしても本土の方とほぼ同じスピードで深夜アニメを観れている。

TVで「こんなお店あるのかよ?秋葉原はすげぇな」と思っていたメイドカフェを中心としてコンセプトカフェ(BAR)なんてお店も、沖縄では現在10を余裕で超えている。
オタクというものが懸念されていた20〜30年前とうって変わって、現在のTVはこぞってアニメや声優特集でいっぱいだ。
映画も実写よりアニメの方が高い興行をあげ、どこも次来るアニメを探しては、それがなければリバイバルして昔のファンを引っ張ってくる。
インターネットだって初めはどこかオタク臭いものと思われていたものが今ではそれがインフラとも言われるくらいマストなものとなり、現代の若者は現実的な三次元より、ネットを通じた世界に形成される人間関係に浸透するような時代になってきている。

時の流れに比例して急激に進む技術の進化に応じ、沖縄も進化し、それは顕著にオタクカルチャーにあると思っている。

私はそんな沖縄で独自に発展していると言われる「沖縄のオタクカルチャー」に関して、俯瞰的に捉えながらも、時には主体となって見つめていき、それをみなさまに届け、1人でもいいから何かのきっかけになるような、背中を押してくれるようなコラムにしたいと思っている。

オタクへの偏見はまだ拭えない、後ろめたさを感じてる方もいる。今は昔と違うよと言われてもそこから脱出できない方を肯定できればと思う。

まだ触れたことがないけど少し気になっている方に「実はその扉を開くと割と楽しいかもしれないよ」という些細な幸せの鍵になれればと思う。

そんなコラムを書いていきたい。ハードルを自分で少し上げすぎた気もするが・・・笑
そしてこのコラムは、僕個人として、今こうやってオタクカルチャーに助けられた自分がそのカルチャーにできる恩返しの一つとして、少しでも意義のあるものにしていきたいと胸に秘め書き続けようと思う。
(やはりハードルを少し上げすぎてるかもしれない・・・)

最後まで読んでくれてありがとうございました。
もし良ければ来月も読んでください。

■筆者information
【健兄・Twitter】@funnybunnyken
【店舗・Twitter】@soundsgood0915
当コラムはnoteで完全版を展開中!
沖縄オタク生活 note

■ライブスペース SOUNDS GOOD infomation


別のコラムを読む

NEW PICKUP


やきいも

車内カーナビを頼りに所在地の住所を入力し訪ねると周囲は緑に囲まれた中に「焼き芋」という幟(のぼり)が見える。その幟のそばには「名前の無い美味しいやきいもやさん」がある。

桜杏(那覇市)

「人々の健康のお手伝い」をしたいという小さな母娘が経営するお店の大きな思いは店内の商品からも感じる。