『我那覇孝淳の【喜怒哀☆楽日】第4回


コラム【喜怒哀☆楽日】も無事、4回目を迎えました。有難いことです。こんなコラム読んでくれる人がいるんでしょうか。いますよ!ふらびゅう沖縄に失礼でしょうが!

このコラムのコンセプトは僕の周りの人物紹介、主に県内で活動している演劇人を僕の勝手な偏見で紹介する事です。僕自身が沖縄の小劇場界隈でひっそりと活動をしているので自然とそうなってしまいます。

今回は誰に白羽の矢を脳天からぶち込んでやろうかと考えていると【首里劇場】内覧会のお誘いが知花園子さんからありまして。

知花さんは県内で落語のプロモーターをしたりする、なかなか面白い人です。いずれコラムで紹介したいと思います。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが映画館【首里劇場】の三代目館長、金城政則さんが急逝されました。伴って首里劇場も閉館になりました。

首里劇場は沖縄県最古の劇場という事もあり閉館を惜しむ声も多く、そのため『劇場内覧会』が企画されたんだと思います。

6月9日。僕は知花さんの案内の通り午前十時に首里劇場へ行きました。その日は雨が降っていました。すでに十数人が集まっていて平良竜次さんのアテンドで首里劇場の内覧会は始まりました。

初めて首里劇場を訪れた人は三度驚くと言われています。

一度目は「こんな街中に!」です。首里劇場は首里大中町の住宅街にあります。日常の中に突然現れる非日常。狭い路地に首里劇場はひっそりと建っています。

二度目は劇場内部を見て。コンクリート地面剥き出しの床に固定された椅子の群れ。壁も柱も天井も全て木製で木造建築特有の懐かしい匂いに包まれています。

そして三度目は帰り道。もう一度、首里劇場に行ってみたいと思う心境に驚くと言われています。僕が言っているだけですけど。

という事で今回のコラムゲストは平良竜次さんです。

平良竜次さんは『NPO法人シネマラボ突貫小僧』の代表をなさっていて、琉球新報で『沖縄まぼろし映画館』を連載したり『沖縄国際映画祭』に携わるなど映画への造詣が深い方です。
平良さん自身が首里劇場と関わり始めたのは二代目館長の金城田真(でんしん)さんの時代で90年代後半。という事は、平良さんは25年近く首里劇場を見守っていたことになります。

「足元に気をつけて下さいね。床が抜けますから。一箇所にまとまらないで下さいね。出来れば少し散らばって付いてきて下さい。床が抜けますから」

冗談なのかマジなのか、そう言う平良さんの言葉で『首里劇場内覧会』は始まりました。皆んな、ハハハと和やかに笑いながら平良さんの後についていきました。途中、床がミシッ!と音を立てて軋みました。ああ、マジだったんだ。ふざけたら怪我するな。そう思って僕はお腹を凹まして平良さんの後について行きました。お腹を凹ましたら5キロは体重が軽くなると聞いた事があります。

1947年、首里劇場は露天劇場として営業していたといいます。その頃は『首里公民館』という名称だったとか。ああ!それで、住宅街にぽつんと建っているのか!

1950年に創木造の劇場になり『首里劇場』がスタートします。その後、外装を鉄筋コンクリートで増築補強して現在の姿に。

劇場は二代目館長の田真さんと三代目館長の政則さんの二人が修繕を繰り返してきました。そんな手造りの跡があちこちに見られます。たとえば、二本連なって立っている太い柱。

二本の柱のうち一本は電信柱です。補強のために電柱を譲り受けてきたものだと言います。そう言えば木製の電信柱ってのが昔はあったなあ。

首里劇場は当初、芝居小屋兼映画館でした。スクリーンの前には舞台があり、ちゃんと花道まであります。芝居小屋だった名残りです。当時活動していた沖縄の劇団が、この首里劇場でウチナー芝居を上演していたんです。

舞台の裏は楽屋になっていて、巡業劇団の役者たちが寝泊まりできる宿泊施設にもなっていたとか。なんと、調理場まで完備されていました。レンガで作られた竈門で一座の料理を作っていたんでしょう。

首里劇場での最後の芝居興行は1980年代、仲田幸子さんの母の日公演だったようです。喜劇の女王、仲田幸子さんの突然の歴史的リンクにびっくり。それ以降、首里劇場での芝居公演の記録は有りません。

上手側、下手側の舞台袖の壁には手書きの広告看板がありました。当時の靴屋や写真館などがスポンサーになっていたようです。ほとんどの企業は無くなってしまいましたが『瑞泉酒造』と『武村松月堂』は現在も営業中です。

「この劇場は戦前の芝居小屋の様式と戦後の欧米の様式の2つが融合された建物。本土とは違う歴史、アメリカ世(ゆー)らしい建物といえる」と平良さんは言います。

この首里劇場には、そういう歴史的な価値もあるんです。

立ち入り禁止の二階席まで平良さんに見せて頂きました。なぜ立ち入り禁止かというと危険だからです。なにせ、床が抜けちゃうんだから。

二階席は復帰前まで使われていたけど復帰後は法的な問題で安全上使ってはならない。と行政からのお達しがあったようで50年間使われていないとか。この危険な感じが凄くわくわくします。

二階には首里劇場の心臓部、映写室がありました。昔は35ミリフィルム映写機を使っていたようですが、2014年にデジタルプロジェクターを導入したようです。

ここで三代目館長の政則さんは何を思って映画を上映していたのでしょうか。ご冥福をを祈ります。

約三十分の内覧会を終えると一曲だけ演奏があります。と言われて僕らは舞台前の席につきました。

ミュージシャン、奈須重樹さんのギターと川口義之さんのサックスにより『首里激情』が始まりました。その時の様子がYouTubeに上がっていました。よければ一聴。

『首里激情』https://youtu.be/zsX4DGCjmHs

まさか生演奏が聴けるとは思っていませんでした。凄く贅沢な時間でした。

首里劇場は老朽化が激しく建物の保存は厳しい状態だそうです。ちょっとやそっとのリフォームでは解決できないくらいに建物は傷んでいます。建て替えするとなると億は下らないと専門家にも言われたようです。

残念ですが、首里劇場は消えゆく文化遺産です。思い出遺産です。心の中に、記憶の中に、そしてデジタルデータとして残していくしかありません。

現在、「首里劇場友の会」が記録という形で残していこうと活動しています。今回のような内覧会を通して、一人でも多くの方に文化遺産としての首里劇場を体感して欲しい。と平良さんは仰っています。

首里劇場で一度、舞台を上演したかったなあ!

てな事で今月はこの辺で。
また、話を聞いてやって下さい(^^)

『首里劇場友の会』https://shurigekifans.fakefur.jp/
『平良竜次Twitter』@nextdragon1974

■筆者information
【Twitter】@koujunkoujun
【note】我那覇孝淳

1日1本、約1200文字の短編小説のようなものを書いてます。 文章修行中。 稚拙ですが読んで頂くと嬉しいです。 Twitterもやってます。


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