人生七転び八起き Vol.7


★コラム7 ◯川中学校 後半

【4年目】
昨年は意に反して学級担任を外れたので、「今年は是非、学級担任をさせてください」とお願いしました。気合い十分な状態で臨みました。
この年の11月に長男が生まれました。

【5年目】
学年持ち上がりで、3年生の学級担任を務めました。その頃はまだ、感動的な卒業式を夢見ていました。

【男子バレー部】
長男誕生を機に、部活指導から少し離れたいと思い、4年間務めた女子バスケ部顧問を退任しました。しかし若手体育教師が部活指導しない訳にはいかず、私は男子バレー部を創設することにしました。バレーに興味のありそうな生徒に声を掛けて、メンバーを集めました。この頃から私、おかしかったんですね。恐らく、周囲の声には全く耳を貸さなかったと思います。
1人突っ走った感はありますね。結局、男子バレーの指導中に問題を起こしてしまいました。

【体罰】
あの日のことは、今でもはっきりと覚えています。私の人生を変えた運命の日。
6月のある土曜日。午前は他の学級とスポーツで対戦するクラスマッチを楽しみました。
午後は部活指導でした。中体連の地区大会を間近に控え、私はピリピリしていました。練習中、勝手にコートに入って来た男子生徒に腹を立てた私は、彼に体罰を加え、怪我を負わせてしまいました。
私に下された処分は6ヶ月間の停職でした。

【別居】
マスコミから息子を守るために、妻が長男を連れて家を出て行きました。俗に言う別居生活がスタートしました。このスタイルは後に2年間も続きました。妻の行動を理解できなかった私は、息子のことを考えては、ポロポロと涙をこぼすのでした。
こんな時に1人にしないで〜、と。

【生活費】
半年も収入が絶たれてしまい、どうやって生活していこうか悩んでいた私に、兄弟が200万円を送ってくれました。こんな大金をさっさと準備してくれた兄弟には感謝しかありません。しかしバカな私は、この大切なお金をムダ遣いしました。毎日のように飲み歩く生活を送ってしまいました。
妻に見放された私は、自暴自棄になっていました。

【手首】
辛く悲しい日々を過ごす内に、生きる目的を見失ってしまいました。じっと手首を見つめながら、「ここを切ったら楽になれるのかなぁ」と考えていました。

【清掃活動】
停職中は北谷町のアラハ公園でジョギングをしたり、バスケットをするのが日課でした。若者やアメリカ人と一緒にプレーしました。

【復職】
12月に停職が終了しました。
しかし、学校に私の戻る場所はありませんでした。

【不適格教員矯正プログラム】
私は県教育庁から不適格教員と判断され、現場復帰するための矯正プログラムが作成されました。普段は浦添市の教育研究所に出勤をし、勉強しましたが、週に2回は外部の施設に出掛けました。県教育センターでは教師の心得や指導法について、一から勉強しました。特に生徒指導については重点的に学びました。また、サンアビリティーズうらそえでは身障者の方々と一緒にスポーツをしました。ひまわり学童クラブでは子供達と一緒に遊んだりしました。
こうして、少しずつ人間らしさを取り戻していきました。

次回は新天地での様子についてお話します。

■筆者information

沖縄素潜り人 「 One Breath 」
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